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  1. 11. 「ニホンリスのメロウ 軽井沢Kazusaの森の物語」の紹介

    8月25日に求龍堂から発売されるフォトエッセイ、
    「ニホンリスのメロウ 軽井沢Kazusaの森の物語」では、
    この軽井沢に移住して約2年、毎日欠かさずにKazusaの森にやってきてくれる
    ニホンリスの定点観測で知り得た彼らの生態と習性を、
    とっておきの写真と書き下ろしのエッセイによって分かりやすく紹介しています。
    昨年の春にこの森で生まれたメロウという雌リスが主人公の物語になっていますが、
    ほかにもいろいろな情報も詰め込まれています。
    ニホンリスは、軽井沢の町獣にも指定されていますが、
    貴重な日本の在来種、それも固有種です。
    本書では、巻末にこのニホンリスの歴史を紹介するとともに、
    外来種の問題なども取り上げて、
    ニホンリスという在来種を守っていくことにどういった意義があるかも訴えています。

  2. 12. 冬の森から

    ■裸木(はだかぎ)の枝駆け抜ける栗鼠の背に
         負われて流るる時の速さよ

    ■秋去りて冬迎へむと競ひ合ひ
         衣を替える森かがやきて

    ■風渡り冬訪れて森の色
         競ひて替えるときぞ可惜(あたら)し

    ■音のない世界に戸惑ひ何思う
         老いたる犬に問ふ冬の朝

    ■穢れなき瞳に映る森の中
         栗鼠を見つめるわれ共にあり

    ■冬の森寂しかろうと裸木(はだかぎ)に
         巣箱のブローチ鳥を呼ぶかも

    ■裸木 (はだかぎ) に恥じらいおして
         眠りつついのち抱くは冬芽なるかな

    ■枯葉積むテラスの椅子の温もりも
         消えて主待つ長き冬かな

    ■白き峰孤高のひとの想いさえ
         隔てて屹立せし冬の朝

    ■風に舞い乾いた音立て肩寄せる
         色さえ温き枯葉山かも

    ■裸木(らぼく)とてうちにいのちを宿すれば
         樹肌も温きからまつの森

    ■冬に咲くコスモス花よ海風に
         異国の薫りをききてあととむ

    ■裸木(はだかぎ)の森に木枯らし吹き荒び
         枯葉に紛れて舞う風の花

    ■森の底白く煙りぬ風の中
         栗鼠の走りて訪れを待つ

    ■木枯らしに耳毛なびかせ木の実食む
         栗鼠の背朝陽に紅く染まるや

    ■厳冬の澄みたる空に月ひとり
         闇夜の底を照らして笑ふ

    ■木の実食む栗鼠おびやかす鳥の影
         冬来たりなばいのち競ふや

    ■厳寒の地にて生きむと木の実抱き
         急ぎ埋(うず)める栗鼠ぞいとしや

    ■黄泉という国への入り口そこかしこ
         見えぬは仮のこの世ばかりか

    ■吹き荒ぶ雪の向こうに見え隠れ
         やがては埋もれむ業の足跡

    ■暮れなずむ冬空の下の森の底
         白く光りて夜を迎えむ

    ■軽やかに跳ぶよに走る栗鼠の子の
         姿も清し雪積もる朝

    ■悠々と顔色かへずに我が森を
         足跡残してキツネ過ぎりて

    ■雪掻きて木の実隠せば嬉々として
         周囲見渡す栗鼠ぞいとしき

    ■初春の白き森にもめでたさの
         輝きあふるるありがたき朝

    ■凍てし雪踏めば乾いた音を立て
         森の冷気を震わせる朝

    ■白無垢の浅間の姫を包む青
         澄みてすがしき新しき朝

    ■冬の空晴れ渡りたるその色の
         悲しいほどに美しき青

    ■雪被り色を失くした森の中
         ひっそり飾るはシジュウカラかな

    ■雪を蹴り枝から枝へと渡る栗鼠
         こぼした笑みのいと温きかな

    ■朝陽浴びきらきら輝く樹氷にも
         色を添えむと鳥訪れぬ

    ■漆黒の鋭き嘴木に立てて
         紅き帽子を揺らすアカゲラ

    ■生きのびるためとはいえど栗鼠の実を
         もってゆくなと野鳥に告げむ

    ■尾長なる体を運びて森の中
         冬のヒヨドリ枯れ木に咲かむ

    ■野に生きるいのちをつなぐけもの道
         ついてくるなと声ぞ聞こゆる

    ■アカゲラや寄り添ふ番のむつまじき
         姿に森もぽっと赤らむ

    ■野に生きるいのちを思う心すら
         忘れて木を伐る人ぞ哀しき

    ■森の中雪見て笑ふイヌの目に
         映りしヒトは何を思ふや

    ■逆立ちたヒガラの冠羽に威厳見て
         腕白小僧も頭(こうべ)を垂れむ

    ■雪すらも融けるかシメの求愛に
         頷き返すカワラヒワかな

    ■追いかけて追いかけられてたわむれる
         栗鼠に見ゆるは夫婦善哉

    ■優しげな瞳に春を映しつつ
         北への渡りを待つアトリかな

  3. 13. 鳥の災難

    昨日の朝、シメが1羽、バーンという大きな音をたてて、
    テラスドアのガラスに激突して落下しました。
    いままでも何回かありました。
    即死が2回。
    手にとったとたんに元気よく飛び立っていったのが1回。
    でも今回は脳震盪を起こして失神しているのでしょうか。
    見るとまだ息をしています。
    こりゃほっとけぬ……。
    あわてて手袋を探しに走りました。

    こういうとき、
    細菌や寄生虫などをもらわないためにも、
    反対に人間の臭いをつけないためにも、
    素手で触るのはNGです。
    手袋をはめなければなりません。

    作業用のゴム手袋を引っ張り出したわたしは、
    それをはめるのももどかしく、
    テラスドアを開けて外に出ると、
    まだピクピクと痙攣しつづけているシメを、
    両手で掬うようにしてそっと抱き上げてやりました。

    すると、そのシメさん、
    ギャッと驚いたような声を上げて覚醒したかと思うと、
    足の爪を立てて必死に手袋にしがみついてきます。
    でも、飛び立とうとする意欲はなさそうで、
    もがきもしなければ、逃がれようともせず、
    半分目を閉じてじーっとしています。
    あの分厚くて鋭い嘴も堅く閉じたままです。
    大きく荒い息をしながら。
    目のふちについている木屑を拭ってやっても、
    されるがまま……。

    以前、冬場に野鳥が窓ガラスに激突して失神したら、
    すぐに温めてあげないと凍死してしまうよ、
    という話をきいていたので、
    外は寒かろう、と、家の中に入り、
    薪ストーブの前でそっと両手で包みこむようにしても、
    依然、じーっとしたまま。
    薪ストーブで手を温めて、
    頑張れ、頑張れ、と唱えながら、
    何度も背中を撫でてやるのですが、
    あまり反応がありません。
    こんなに小さな体だもの、やっぱり助からないのかなあ……。
    あきらめに似た気持ちが湧きあがってきます。
    それでも、
    柔らかくて温かい体の感触が手の平に伝わってきたとき、
    ああ、このいのち、まだ生きているんだなあ……。
    助けられるものならば、生かしてあげたいなあ……。
    切なる思いがこみあげてきます。

    10分くらいそうしていたでしょうか。
    脳震盪が治まってきたのか、
    目を開いては閉じ、
    閉じては開き、を繰り返しながら、
    やっとあのシメ独特の大きな目がパッチリと開きました。
    そして、2本の足でしっかりと立ってくれました。
    もう大丈夫だろうか……。
    まだまだ胸で大きく息をしているし、
    しばらく家の中で温めてやったほうがいいだろうか……。
    いやいや、
    やはりすぐに飛び立てるところに置いたほうがいいのではないだろうか……。
    迷いながらも、思い切って、外に出すことにしました。
    飛び立ちやすいようにと、
    テラスドアを出たすぐのところにある棚の上に置いてやりました。
    そこだと、中からもよく見えるので、
    万が一、ネコやカラスがきても追い払えます。
    屋根もついているし、雪が落ちてくることもありません。

    でも……、
    30分経っても、45分経っても、
    荒い息をしながらじーっと座りこんだままです。
    体も少しずつ沈んでゆきます。
    どうしよう……。
    このままこの子は死んでしまうのかな……。
    内臓破裂や脳損傷とか起こしているのかな……。

    獣医さんに尋ねても、
    そのままにしておくように、とのこと。
    一度保護してしまうと、人間の臭いがついて、
    野生に戻ったときに、
    仲間たちから嫌われたり、
    他の動物を引き寄せたりするとか。
    それに法律によって、野鳥の保護は禁止されているとか。
    でも、それは飼育目的の場合だと思うのですが……。

    うーん、どうしたものか。
    ここでちょっと手を加えてあげることで、
    助かるいのちならば、何とかしてあげたい……。
    自然淘汰とか、自然の摂理とか、
    そういったものはその後でもいいではないか……。

    悩みつつ、1時間ほどしてもう一度、
    傍にいって様子をみようとテラスドアのノブに手をかけたときでした。
    何と、そのわたしの気配を察したかのように、
    キリリっと胸を張ると、
    バサバサっと翼を広げて、
    自力で飛び立っていってくれたではないですか。

    生命力の強い子だったんですね。
    感動しました。
    その逞しい生命力があれば大丈夫。
    春になったら、きっと元気に、
    仲間たちと一緒にシベリアへ渡っていってくれるでしょう。

    小さないのち。
    この雪に覆われた軽井沢で、
    必死になって生き抜こうとしている小さないのち。
    ここにもあそこにもいっぱい……。
    そのいのちのもつ感動をもらって、
    しばらくわたしも元気で過ごせそうです。

    【参考】野鳥が窓ガラスに激突するケースは多く見られます。
    昨日、fbでみんなにアドバイスを求めたところ、
    早速、友人が、こういうときのお役立ちサイトを見つけてくれました。
    ちょっとした工夫や介助で助かるいのち、たくさんあります。
    参考にしていただければと思います。
    公益財団法人日本鳥類保護連盟
    「ガラスに激突する鳥たち」
    http://www.jspb.org/mado/mado.html

  4. 14. 野鳥たちの聖戦

    軽井沢の冬は厳寒。
    氷点下十数度まで下がることもめずらしくありません。
    そんな寒さですから、一度雪が積もると、
    それは根雪となって、
    ことに我が森の底は、
    春の暖かい陽射しが届くようになるまで、
    真っ白いままになります。

    そんな厳しい冬の間だけ、
    いのちをつなぐお手伝いをしようと、
    虫が死に絶え、木の実がすべて落ちてしまった頃から、
    我が家は数種類のバードフィーダーを設置します。
    小粒のヒマワリの種が入ったもの。
    大粒のヒマワリの種が入ったもの。
    手作りのバードケーキを入れたもの。
    そして、無塩無油の生のアーモンドと牛脂も、
    少しだけ置いてあげます。
    どうしてそんなに……、と思われるかもしれませんが、
    一冬、ここに訪れてくる野鳥たちをずーっと観察してみて、
    種類によって好みが違うことに気づいたからです。

    アカゲラはヒマワリの種には見向きもしません。
    ヤマガラやシジュウカラは、
    ヒマワリの種も食べることは食べますが、
    それよりも硬いアーモンドが大好きです。
    シジュウカラなどは、牛脂も大好物。
    カワラヒワやシメは、やはり種子が好きなようで、
    まずはヒマワリの種をつつきます。

    また、複数のフィーダーを用意しているのには、
    弱いものが食い逸れのないようにするため、
    という理由もあります。
    野鳥の間には、
    体の大小で決まる力関係が厳然と存在しています。
    それはまた同時に、
    大きい子と小さい子の行動の特性を生みだします。
    つまり、大きい子は器用さに欠けるため、
    フィーダーの形状によっては、近づけないものもあるということです。
    そういった習性や嗜好などを考えあわせて、
    我が家では試しにいろいろと置いているわけです。

    さてその力関係ですが、
    これは、体躯の大きさだけでなく、
    野鳥の次のような種類によっても大きく異なります。

    野鳥は、大きく、
    留鳥と渡り鳥と漂鳥の3種類に分けられます。
    (本当はもっと細かく分類されているようですが……。)
    留鳥とは、通年そこに生息している地元の鳥のことで、
    我が家ではジモバーと呼んでいます。
    さしずめ、この森では、
    アカゲラ、ヤマガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラ、コガラ、
    キジバトなどが、代表的なジモバーたちです。
    渡り鳥は、
    夏に飛来する夏鳥と、
    冬に飛来する冬鳥がいますが、
    この森にやってくる冬鳥には、
    シメ、アトリ、ミヤマホオジロなどがいます。
    もうひとつの漂鳥というのは、
    冬になるとシベリアから渡ってくる渡り鳥とは違って、
    同じ軽井沢の中の平野部から山地へ、と、
    季節に応じて狭い範囲で移動する鳥のことです。
    冬になるとこの森へ移動してくる漂鳥には、
    カワラヒワやイカル、ヒヨドリなどがいます。

    雪が舞いはじめる頃までは、
    この森はジモバーたちの天国です。
    孤高の鳥であるアカゲラは別格として、
    ヤマガラもシジュウカラもゴジュウカラも、みんな伸び伸びと、
    お行儀よく順番を待ちながら、
    フィーダーの中の餌をつつきます。
    それが、雪が舞いはじめて、
    カワラヒワがやってくるようになると、
    様子が一変します。
    カワラヒワは群れをなしてやってくるので、
    彼らが飛来するようになると、ジモバーたちの居場所がなくなるのです。
    それでなくても、気性の激しいカワラヒワたち。
    ちょっとでも近寄ろうものならば、
    すごい形相で追い払われてしまいます。
    ジモバーたちは、ちょっと離れた樹木の枝に止まって、
    じーっとフィーダーが空くのを待つしかありません。
    そこでハンギング型のフィーダーや、
    アーモンドや牛脂の出番となります。

    さあ、そのカワラヒワよりも激しいのはシメです。
    このシメも、単独で飛来する間はお行儀がよいのですが、
    冬が深まり群れでやってくるようになると、
    壮絶な食物争奪戦が繰り広げられるようになります。
    そしてその争奪戦は、
    春になり、シベリアへと渡ってゆく時期が近づくにつれて
    さらに熾烈さを増します。
    それは、長い過酷な渡りに備えて、
    体脂肪をたっぷりと蓄えておかなくてはならないからです。
    ときにはキジバトでさえ、追い払ってしまうほどの激しさで、
    シメたちは必死になって餌をついばみます。

    このように、野鳥たちがフィーダーを占有する優先順位は、
    その種類と体躯の大きさで決まるわけですが、
    もうひとつ、野鳥の世界では、面白い、
    いえいえ、
    彼らにとっては非常にシリアスな戦いが展開されます。
    それは子孫を残すための戦いです。
    毎日見ていると、ほかの種類の鳥とだけではなく、
    同じ仲間同士で餌を奪い合っている野鳥たちの姿をよく目にします。
    場合によっては、他の種類の鳥よりも、
    同じ仲間を厳しく威嚇する方が多いほどです。
    カワラヒワはカワラヒワに、シメはシメに……。
    ヤマガラもしかり、シジュウカラもしかり、です。
    要は、平和な時期はみんなで仲良く、
    タイムシェアリングでフィーダーを共有できても、
    餌場が混み合ってくると、
    仲間の接近は許せなくなるのです。

    ……といっても、仲良くついばむ相手もいます。
    それはきっと異性の仲間だからでしょう。
    戦いを挑んでいるのはおそらくオス……。
    わたしはそうにらんでいます。
    自分のDNAを残してもらうために、
    メスは大切にしなくてはならないけれども、
    同じオスは邪魔になる……。
    自分のDNAを残すためには、
    他のオスを押しのけてでも生き抜かねばならない……。
    これは、憐れなるかな、
    神から仰せつかった、
    子孫を残すという使命を果たすための彼らの聖戦なのです。

    スタンダードジャズの名曲「As Time Goes By」の歌詞の中に、
    It’s still the same old story
    A fight for love and glory
    A case of do or die
    というくだりがあります。
    訳すと、
    「いつの時代にも存在する物語
    愛と栄光のための戦い
    生きるか死ぬかのせめぎあい」
    になるでしょうか。

    なんとなく野鳥の世界にも通じるものがあるなあ、
    と、最近、これを歌っていて思うわたしです。

  5. 15. 白い森

    森に雪が舞う季節となりました
    最初は、ひとひら、ひとひらと
    それはまるで、さくらの花びらが舞うがごとくに
    薄墨色の雲から舞い落ちてきます
    だれにも気づかれないように
    静かに
    ひそやかに
    しかし次第に勢いを増しながら
    それはまるで、絵筆を重ねるがごとくに
    森の底を白く染めてゆきます
    もはやだれの目もごまかすことなどできずに
    もはや止まることなど知らぬといわんばかりに
    刻一刻と雪は深まり
    あるとき
    森の何もかもが巻きこまれてゆく一瞬がやってきます
    裸木に眠る冬芽の寝息も
    野鳥の囀る声さえも
    雪の降る音にかき消され
    しいーんと
    森には雪の降る音だけが響きわたります
    そうして森は
    雪の魔法のなすがままに
    いつの間にか白く煙り
    そこには幻想の世界がぽっかりと口を開けるのです
    雪は白い精霊たちの化身
    彼らは
    蒼氷の女王と戦うために
    やがて風を味方につけます
    そしてその風に煽られながら
    森の中を舞い狂って
    樹木に白い鎧を着せてゆきます
    それは白い森の哨兵たち
    彼らは
    天に向かって伸ばした無数の腕を
    それぞれに絡め合いながら
    森を白銀の砦と化してゆきます
    蒼氷の世界でいのちをまもるために
    そう、それは
    雪の温もりで
    いのちを包みこむために築かれた砦なのです
    すべてのいのちは
    この砦で
    厳寒に抗うべく
    雪の魔法で編まれた白いヴェールを纏って
    そのいのちをつないでゆくのです
    ほら、あそこでは
    宿根草たちがやっと安心して眠りにつきました
    ほら、あそこでは
    野ウサギがねぐらにしようと穴を掘っています
    はらりはらり
    今日もまた雪が舞いはじめました
    こうやって
    この魔法は解けることなく
    これからの長い冬の間中ずっと
    森の小さないのちたちをまもってゆくのです
    春という名の陽射しが森の底に届くまで……

  6. 16. 落葉のあと

    秋が去ってゆきました。
    まるで木枯らしに急かされるかのように……。
    ついこの間まで、窓という窓はすべてオレンジ色に輝いて
    部屋の中までほんのりと紅く染まっていたのに……。

    いま、Kazusaの森は、
    静謐な気に溢れた裸木の森になりつつあります。
    毎日、風が渡るたびに、
    これでもか、これでもか、と色づいた葉がふるい落とされ、
    いまでは大地がすっかり枯葉色に染まって、
    森の底が明るくなりました。
    わずかに残っているナラやクリの葉も、
    はらり、はらりと絶え間なく舞い落ちてゆきます。
    冬の訪れを告げるかのように……。

    こうして木々たちは、いのちをつなぐために、
    惜しみなく葉を落として、
    長い冬を越す準備に勤しんでいます。
    クマがたくさん食べて
    体脂肪を蓄えてから冬眠に入るように、
    樹木もこうして冬に備えるのです。

    寒くなると根元から水分を吸い上げなくなるために、
    葉が枯れて落ちてしまうのですが、
    これは日照時間が短くなって光合成の力が弱まってくるからです。
    そうすると葉を緑色に見せるクロロフィルも生成されなくなり、
    葉の色が変わります。これが紅葉(黄葉)です。
    また、わずかな水分を維持するためには、
    水分が蒸発しやすい葉がないほうがいいに決まっています。
    だから競い合うようにして葉を落とします。これが落葉です。
    紅葉(黄葉)は、
    色素の関係で黄色の葉になって落葉するものと、紅くなって落葉するもの、茶色で落葉するもの、とがあるようです。
    いろいろと難しいことは専門書に任せましょう。
    ただ、知れば知るほど、
    自然のいのちの仕組みにはびっくりさせられます。
    こんな仕組み、誰がつくりあげたのでしょう。

    こうして葉はなくなっても、
    もちろん、木そのものが枯れたわけではありません。
    その証拠に、
    葉を落として裸木になったモミジやドウダンツツジなど、
    よくみるとすでに芽が出ています。
    これは休眠(越冬)芽で、
    冬芽(とうが、ふゆめ)と呼ばれるものです。
    来春に花になったり葉になったりする芽で、
    夏ごろからすでにつくられるものだそうです。
    ただ落葉樹によっては、
    樹皮の中に埋もれているものもあるので、
    すべてがすべて外に頭を出しているとは限らないようです。

    このように、すべてが眠ったように見える裸木の森ですが、
    木々の1本1本は生きていて、
    春になるとそのいのちを一斉に萌え出させるために、
    エネルギーをしっかり蓄えているのです。
    そう思うと、
    裸木が逞しく、かつ頼もしく見えてきます。

    夏の、あの青々とした葉をたっぷりと蓄えた
    エネルギッシュな木もいいですが、
    わたしは裸木が好きです。
    美しいと思います。
    饒舌さとは縁のない寡黙なあの姿、
    装飾も何もない、
    ありのままを剥き出しにしたあの姿は、
    余分なものを削ぎ落とした美しい名文のようです。
    シンプルな素の姿ほどより多くのものを語り、
    言葉は少ないほど、より多くの感動を呼びます。

    人間も、背伸びをせず、相対的な価値観に振り回されず、
    ありのままの等身大の自分を大切にしながら生きること。
    それが一番素晴らしいことなのかもしれません。

  7. 17. 深まる秋を詠む

    深まる秋を詠む。。。

    ■コサージュの色映ろへば白き肌
         紅(くれない)にほふ喝采の中

    ■秋霖(しゅうりん)に葉陰の緑も濡れ落ちて
         一夜一夜に錦繍を縫ふ

    ■三叉路にたちた神庫 (ほくら) にこうべ垂れ
         野アザミ頬を染めて祈らむ

    ■風渡りコスモスのその無心なる
         笑みぞこぼるる秋の野辺かな

    ■秋桜の咲き乱るるは秋風の
         ほのかに吹かむ野辺の道の端

    ■山の端の緑に浮かぶコスモスの
         色目に染みる秋のあけぼの

    ■暮れなずむ深草(ふかくさ)の野に輝ける
         星と見紛うコスモスの花

    ■道の辺を薄紅の色に染め上げて
         春を装ふ秋桜(あきざくら)かな

    ■よもに吹く秋風に散るコスモスの
         色を惜しみて蝶舞いにけり

    ■寝すぎたか蝉が今頃殻をぬぐ
         急ぐなゆっくり命を燃やせ

    ■深き森霧を纏いて木霊らの
         音なき声で何をか語るや

    ■野分け吹き紫の帆に風はらみ
         深草(みくさ)に沈む釣舟草かな

    ■秋風の音色に合わせてタップ踏む
         毛糸の帽子も粋な野アザミ

    ■孤高なる厳しき薫りに吹く風も
         戸惑い隠せぬ桔梗の花かな

    ■野にありてぼんぼり灯す秋明菊
         秋の長夜をいざない招くや

    ■十五夜の月の明かりに照らされて
         野ウサギ踊ればススキが笑う

    ■葉の先に舞い降りた秋振りもせず
         移ろう色に染むカエデかな

    ■誰も見ぬ空に十六夜う月あかり
         かなしからむと闇を覆うや

    ■ふと見れば木漏れ日の色も黄昏て
         秋の深さをしばしあはれぶ

    ■山栗のほのかな甘みを好むのは
         熊とて同じ遭遇注意

    ■萩の葉に肌寒き風吹くなへに
         紅葉(もみじ)深まり山を染めぬる

    ■縫うように湖畔を染める秋の風
         錦繍の絵に心とろめく

    ■野にありて見返られずとも微笑を
         浮かべしヒメジョンあわれなるかな

    ■飄々と長き手足を泳がせて
         シャルウイダンスと誘うカマキリ

    ■風流人好む好まぬさておいて
         爪隠してこそ偉人たるかな

    ■我が森の栗鼠のほおばる日を思い
         あけび絡めるときぞ楽しき

    ■翅休めふたたび渡りに舞い上がる
         浅葱の姿に我手を合わす

    ■色なせる光の裏のその影に
         恨みを隠してトリカブト咲く

    ■水面割り稲妻呼びて空を舞ひ
         龍神睨む現世ぞ悲しや

    ■滝の音に心の襞も洗われて
         惑い消えぬる静寂の中

    ■山肌を轟き落ちる大滝の
         しぶきぞ吾の心洗ひぬ

    ■鬼の居ぬあいだに石積む幼子の
         背を見て地蔵よ何を語るか

    ■目に映る錦繍の色に和むると
         キジバト笑ふ声ぞ聞きたし

    ■色づいたもみじ葉の陰胡桃抱く
         栗鼠の姿に笑みぞこぼるる

    ■森の樹の枝駆け抜ける栗鼠の背に
         何処へゆくのかいつか尋ねむ

    ■錦繍を纏いた栗鼠のやさしげな
         姿にしばし時を忘れぬ

    ■秋の中もみじ葉の色濃き薄き
         木漏れ日までも染め上げるかも

    ■母栗鼠と別れて独り生きる子の
         野の宿命ぞいとあはれなり

    ■薄き濃き紫の実に平安の
         雅みゆるやムラサキシキブ

    ■森の海樹木の揺れの波立てば
         風ぞ渡りて道を残さむ

    ■黄金の色に染まりて樹間縫う
         栗鼠追う我も風をおぼゆる

    ■独りゆく道の険しさ知るゆえに
         石橋叩きて生く栗鼠いとしや

    ■晩秋の森を彩る精霊の
         宿りて紅きいろはもみじか

  8. 18. 母と子

    野生動物の世界での母親の存在は絶大です。
    先日、ブログ「軽井沢の森を守るために(ピッキオの活動報告)」で、何らかのアクシデントが起こって母グマとはぐれてしまったプリンセスという子グマの死を取り上げました。
    生後間もない子グマをプリンスエリアで保護し、発信器をつけて森に放したところ、「クマ(雄グマ)の子殺し」に遭って死んでしまったという話ですが、実は、今年の5月にもこれと同じようなことが起こりました。

    場所は同じプリンスの施設内。
    でも、今回は72ゴルフの中でした。
    夕方、造園業者のひとたちがコースの整備をしていたところに、子グマが、まるで何かから逃れるかのように必死で走り寄ってきたというのです。
    見ると、まだ母乳を飲んでいると思しき小さな赤ちゃんグマ。
    さあ大変です。
    万が一近くに母グマがいたら、と、みんな恐れおののいて辺りを見回したそうです。
    でも、その気配はまるでありません。
    今度は、これは困った、と、早速ピッキオにSOSを送りました。
    依頼を受けてやってきたピッキオは、すぐに、母グマが探しにやってくる可能性もあるだろう、と判断して、保護した場所にケージを置き、その中に子グマを入れてしばらく様子をみることにしたそうです。
    でも、やはり母グマに何かがあったのでしょう。とうとう姿を見せませんでした。
    前回の子グマは雌だったのでプリンセスという名前を付けました。
    が、今回は雄だったために、ピッキオはその子グマにプリンスと命名し、いつものように発信器をつけて森に放してやりました。
    でも、今回も残念なことに、早くも4日目には発信器の位置が動かなくなってしまったそうです。
    死因は餓死でした。
    まだ自力で木に登ることもできなければ、餌をとることも知らなかった赤ちゃんです。
    生き延びることは難しかったとはいえ、何とも切ない結果になってしまいました。

    この2つの実例からもわかるように、
    野生動物の世界では、母親がいないとほとんどの場合、子どもは生きてゆけません。
    生まれてから自立するまでの短い間に、子どもは母親から生きてゆく術(すべ)をすべて教わります。
    野鳥は、父親と母親が役割分担をしてヒナを育ててゆくようですが、動物の世界では、父親も子育てを手伝うオオカミを除いて、ライオンやトラやサルやシカなど、ほとんどといっていいほど、母親だけが子育てを行います。
    軽井沢のツキノワグマやニホンリスも例外ではありません。
    クマは平均して1年半ほど、リスは4ヶ月ほどの間に、母親から何もかも学んでから親離れをするのです。
    生まれた直後から本能的に木の上り下りができるというものではありません。
    しばらくの間、母親が手で支えたり口に銜えたりしながら補佐することで徐々に教え込んでゆくのです。
    餌だってそうです。
    何をどうやって食べたらいいのか、どこに何があるのか、などなど、すべて母親から教わるのです。

    もうひとつ、軽井沢に移り住むようになって、毎日、ずーっとリスを眺めていて、面白いことに気づきました。
    子リスの嗜好や行動パターンはその母リスとまったく同じだ、ということです。
    リスには「貯食」という習性があります。
    人間でいう保存食みたいなものでしょうか。いつ食べ物がなくなっても困らないように、クルミやハシバミなどを土の中や樹洞や木の枝股などに埋めたり突っ込んだりする行為です。
    見ていると、リスには、まず何を差し置いてもこの貯食を優先させる子と、まずは自分の腹ごしらえをして、ある程度満腹になってから貯食に走る子がいます。
    そして、母リスが貯食優先タイプだと、その子どもも同じ、貯食優先タイプになります。
    母リスが、腹ごしらえ優先タイプだと、その子どもも同じ、腹ごしらえ優先タイプです。
    嗜好もしかり。
    母リスがクルミ大好きならば、その子どももクルミ大好きになります。
    最初のうちは、ハシバミなどに目もくれません。
    反対に、母リスがハシバミ大好きならば、その子どもも、まずはハシバミからかじりはじめます。
    そうやって何から何まで母親から学びとって、子リスは独り立ちしてゆくのです。
    母親のすることはすべて受け入れて……。
    子リスにとって、母親は絶対的存在なのです。
    母親も、子リスが独り立ちして生活できるようになるまで、死に物狂いでその子のことを守ります。
    いつだったか、カラスを目の前に、子リスの肩をガシッと抱きかかえて猛然と立ち向かおうとしている母リスの写真を見たことがありますが、母リスは子どもを守るためならば、カラスだけでなく、ヘビにだって向かってゆくといいます。
    クマだって、「雄グマの子殺し」に対して母グマは命がけで向かってゆくそうです。
    種の保存のためだけとは思えないほど、そこには母と子の強い絆を感じます。
    ひょっとして、いまどきの人間の親子以上に強い絆かもしれません。

    野生の動物たちは、群れで生活する種族以外は、親離れをしたら天涯孤独。
    すべて何もかも自分の力で生きてゆかねばなりません。
    甘える相手はどこにもいません。助けてくれるものもどこにもいません。
    同じ種族でさえライバルになります。
    そのために、母親はそれこそ必死になって子育てをするのです。
    ひとりになっても強く逞しく生きてゆくんですよ、
    あなたもいずれはちゃんと立派な親になるんですよ、と、
    思っているのかどうかはわかりませんが……。
    そしてすべてを教えこんだときに別離がやってきます。
    どんな気持ちで母リスは子リスを見送るのだろう。
    子リスはどんな気持ちで母リスの元を去るのだろう。
    そんなことを思うと同時に、
    自然界の厳しい理に逆らうことなく、
    文句ひとついうこともなく、
    まっすぐに生きている彼らから、人間は学ぶことがたくさんあるのではないか、などと考える今日この頃です。

  9. 19. 夏から秋へ

    夏から秋へ。。。

    ■そよ風と光と睦む北欧の
    薔薇の香りぞ海を渡りぬ

    ■若き日の君の瞳を紅(くれない)に
    染めた蔓薔薇時に散るらむ

    ■穢れなき瞳にいのちの火を燃やす
    子栗鼠を抱く森の温もり

    ■梢から梢へ渡る栗鼠たちの
    姿に吾も風を覚えむ

    ■母栗鼠と別れてひとり生きる子の
    行く末思いじっと背を追う

    ■夏の陽も包みて己の色に染め
    吾に微笑む妖精の薔薇

    ■絵筆もち天使が空から舞い降りて
    染め上げたるは薔薇のひと房

    ■涼しげに小さく震える野の花よ
    声なき声で何を語らむ

    ■浅間山うちに秘めたる激情を
    押し隠するは貴婦人の笑み

    ■年月の川はいずこへ夏休み
    少女の目になる幼なじみや

    ■恋心綾も漂う花びらの
    色に乙女の想いぞ見ゆる

    ■そよ風に恋して染めた頬の色
    こぼれて咲きしニンフの薔薇かな

    ■夏の日に命を朱に染め燃やさむと
    生まれし花の歌ぞ聞こゆる

    ■風の音のげに歌声にも聞こゆるは
    命燃やする夏の朱の花

    ■母の蔭寄り添い覗く子なれど
    いつしか咲かむ母を背負いて

    ■淡き色萼につけしは紫陽花の
    花なきあとに余韻残せし

    ■白薔薇のにごりにしまぬ無垢の色
    心の陰を映し見ゆるか

    ■緑なる葉守りの神の言葉なき
    想いぞあふるる聖なる森かな

    ■色も香もあはれと思う絞り花
    絵画の中より咲きにけらしも

    ■黒斑山荒き岩肌屹立し
    雄々しく守るは浅間の姫君

    ■彼の地にて目にした薔薇の麗しき
    時流るるも我忘れめや

    ■花か実か問わば問えよと夏椿
    いのちぞつなぐ玉響の秋

    ■曙の光を受けてうたかたの
    笑み開きたる東雲の草

    ■花の色濃いも薄いもこきまぜて
    野を飾りたる夏の錦か

    ■色と香も荒みて果てる時の世の
    君の御影を薔薇に見立てむ

    ■茜空花もひとつに霞みつつ
    雅の野に見ゆ黄昏どきかな

    ■夏立ちて盛りを移す野の花よ
    残りて吾に何を語るや

    ■野の花の移りにけりなおみなごの
    心模様をしかと読めとや

    ■彼の岸の住み家をあとに迎え火の
    灯り訪ねて御魂集いぬ

    ■蝉の声薄れて秋の虫の音に
    季節の移ろい知りてあはれぶ

    ■空の青樹木の緑と花の香を
    抱きて絵となる夏の庭かな

    ■ゆく夏の情けぞ見ゆる庭隅や
    ほのぼの薫る一輪の花

    ■二枚石巌となりて雨境
    こゆる思いを呑んで鳴きぬる

    ■雨上がり葉擦れの音に聞こゆるは
    深まる秋の息づかいかな

    ■やがてくる別れを知りてか薄れゆく
    においを恋うる栗鼠ぞ哀しき

    ■翳りさえ我が身にくみすとほくそ笑む
    深紅の薔薇に闇ぞ浮かびぬ

    ■この森の理とふてひと夏の
    いのちを歌う蝉ぞ哀しき

    ■森の中緑の衣を纏いつつ
    栗鼠ぞ光になりて風追う

    ■風吹けば抱きた秋が舞い落ちて
    緑薄れる長月の森

    ■風吹けば契りありてや萩の花
    秋の訪れひそやかに告ぐ

    ■夏の園天使の形見とおぼゆ花
    古の地へと吾をいざなう

    ■背高の黄色の花咲く麒麟草
    長月の野のバレリーナたち

  10. 20. 本当の省エネとは。。。

    毎日暑さと闘っておられる方々には大変に申し訳ないのですが、この森は本当に涼しくて、「猛暑」や「夏バテ」という言葉を目にしても、正直いってピンときません。
    カンカンに日差しが照りつけている日中でも、
    ゲートをくぐり、木立のない道から、鬱蒼とした森の中に入ったとたんに、空気がひんやりとしてきます。
    窓を開けると、森を渡る風が家の中を通り抜けていきます。
    もちろんエアコンは不要。
    扇風機も窓を閉める夜間につけるだけ。
    森はナチュラル・エアコン。
    自然の恵みに感謝です。

    昨夜、「Kevin’s Bar」*でお隣同士になった方が、
    「日本はいつの間にか、家屋を建てるのに、南側に窓をつけるようになってしまった。
    だから夏は暑く、エアコンをガンガンにつけなければ住めなくなっている」
    とおっしゃっていました。
    彼は、以前、日本の大手ハウスメーカーに勤めておられたとのこと。

    そういえば、「徒然草」にも、
    「家の造りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑きころわろき住居は、たへがたき事なり」
    とあります。
    これを読み返してみると、なるほどな、と思います。

    高温多湿の日本での暮らし。
    昔のひとは、庭や周囲の森もすべて暮らしの中の一部と考えて家づくりを行っていました。
    光と風を取り込むために。
    最近では、北側の窓はほとんどつけないか、つけても、ちょっとした明り採り程度の小さいもの。
    でも昔のひとの家は北側にも大きな窓がついていました。
    風を通すためです。

    太陽の光は強烈です。
    ことに夏の太陽光は、車のボンネットで卵が焼ける、といわれるくらいの熱量をもっています。
    この熱量をいつ採り入れるべきなのか。
    昔のひとはそれもよく知っていました。

    こうやって考えてみると、
    省エネの原点は、季節ごとに変化する地の利をうまく生かした家づくりにあるのかもしれません。

    森の力は絶大です。
    軽井沢には「軽井沢町景観育成基準ガイドライン」というものがあって、家を建てるときに伐採した木の数だけ植えるように、という規定が記載されています。
    でもその植生だって、針葉樹ばかりだと、冬も葉が落ちなくて日も当たらず、一年中湿度が高くて暗い土地になります。
    いろいろな広葉樹を植えると、夏はひんやりと涼しくて、
    冬は太陽の光があふれる明るい土地になります。

    「木なんかなくていい。
    一年中明るければいい。
    それで夏暑ければエアコンがあるではないか」
    そんな考え方は、自分勝手で傲慢な人間のしるし。

    自然エネルギーの活用と、
    自然そのものの力を利用した生活。
    それこそ、昔のひとの知恵の集大成かもしれません。

    さあ、暑い夏ともそろそろお別れです。
    わが森の樹木たちも色づきはじめました。
    秋はもうすぐそこまでやってきているようです。

    * 「Kevin’s Bar」: 軽井沢本通り沿いにある、ワンコインのワインバー。

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